「 渋 谷 」
周縁の街から

1979年 撮影

日本カメラ(1979年6月号)
「ZOOM」(1995年)




ニコンサロン(1981年)

 たまに来る潮の香りのする男友達と話す「盛り場」談義は、細くうねった路地と破れ太鼓のような音がする古びたガード、反響するあらゆる音に包み込まれた小さな広場と汗ばまない程度の坂道が、人の心をなごませるのだと言う所に一致する。
 おー、これは「スラム」の条件のようでもあるが、決して古びていくたたずまいのへの賛辞ではない。そうだ、その地域固有の人なつっこさや、やさしさみたいなものが、呪縛の言葉に転化されたものだ。
 「しかし・・・・」と二人で膝をたたく。「まるでこれでは船の上で女体のようなものではないか。ここまで話を進めるのに、迷妄な僕と友人は小一時間も費やした。たしか、話の出だしはパリのピガールか、西独のキールあたりだったはずだが、もうさだかではない。 物置然とした僕の仕事場を出て、メトロを一駅。「もつ焼」の煙たなびき、人、物、みな壊乱する巷へと河岸を変える。
 割れ鐘ガードをくぐり、坂を上り、はたまた下り、僕らは酒盃を重ねる場所を点々とする。いつからか、どこからかはっきりしないが同行する紅毛碧眼の人共々。横文字なぞ頭上を飛び交う中で飲むほどに自然の呼び声しばしば近く、雑居ビルの屋上から、よろめきよろめき見る星は確かに桃色と納得する。安酒の大海原をさまよいつつ、行き着く所。重い光に包まれて、半開きの眼前にうごめく休日の朝の街は、金色かたつむりかいやはやなめくじのようでもある。
 くさりに巻かれ眠っている屋台。くったくない笑い声をはずませて足取りも軽く、三々五々坂を下り視界に登場するラブホテルの泊まり客達。僕等はと言えば、一夜の愛を確かめそこねた野良ねこのように卑猥をでもある。
 そう、休日の朝の渋谷は