「 芝 浦 」
周縁の街から

1978年 撮影

日本カメラ(1978年12月号)
「ZOOM」(1995年)




ニコンサロン(1981年)

 ちょうど小説などで”A市”とか”F町のはずれ…””S湾を囲むようなこの一帯…”という風な書かれ方をする地域についての記述こそ、それが思い出話しの中にしか生きていない風景○○界隈という捉え方に由来している。
 風景界隈はその中心部も境界も話し手ごとにくい違う。きっと各々の固有の時空をとじ込めた所、内なる境界としてあるのだろう。そこここに登場するものの有りようは、まるで何の共通点もないように、そしらぬふぜいで、たまたまその時そこになくてはならないものばかりとして、思い出ごっこにふさわしい呪縛の言葉でつなぎとめられて有るようだ。
 遠くを見る眼で近くを見るように、その呪縛がときはなたれると、風景を視界に立ち登らせることができなくなるだろう。思い出ごっこの内に繫ぎとめられていたそこそこのものは、乖乱、乖離し、内なる境界を破り、現世(うつしよ)となるだろう。そう、僕の友人のいる芝浦も・・・・・・・・。(政昭記)