略 歴

1943年 ・10月6日、岡山県真庭郡久世町に生まれる。
・戦後、兵庫県芦屋市に転居
・私立甲南中学校、同高等学校から甲南大学文学部に進学する。
・ハナヤ勘兵衛氏の店で器材などを購入し、趣味的に写真を始める。
1965年 ・芦屋在住の写真家から教えられ本格的に写真を始める。
1967年 ・大学卒業後に地元の広告制作会社に就職する。
1968年 ・東京支店勤務となり、沢渡朔氏に教えを受け、故寺山修二氏のプライベート・フィルム「トマトケチャップ皇帝」などを手伝う。
1971年 ・ファッション、ルポルタージュ、などを撮影、雑誌などに発表する。(結婚)
1972年 ・倉持悟郎氏(元オリオンプレス)らの協力でヨーロッパでも写真を発表する。
1973年 ・「アサヒカメラ」に発表した「かもめ」が翌年の「FOTOKINA1974」の招待作品となる。欧州での発表が増える。
・カメラ雑誌に作品を発表することが多くなる。
1975年 ・画像流通の試みとして、郡山ワンステップフェスティバルにて、ゼロックスコピーにより、ワンステップグラフ制作。(長男誕生)
1980年 ・光学、電子などの技術者や評論家とULTORA PHOTOGRAPHY INSTITUTE(U.P.I.)として画像についての研究会を始める。
・大判ポラロイドに興味を持ち、制作を始める。
1982年 ・「周縁の街から」とそれまでの写真活動にたいして、日本写真家協会新人賞を受賞。
1984年 ・AIR FILTER SYSTEM(日本光学の技術協力による)の実験をつづけ、「画像とボケの成立」について考えを深める。この成果はニコン1/4000シリーズのポスターで、イメージ・クリエーターとして銀塩画像とイメージ・スキャナーと利用して画像設計と撮影をおこなう。
1985年 ・パフォーマンス「画像の成立」ヒグマ春夫、大島洋との共作。
1988年 ・日本写真学会技術セミナー「写真と電子映像」で「私のイメージライフ」講演。
1989年 ・桑沢デザイン研究所で「画像文化論」を開講する。
1990年 ・この頃からネガフィルムを使ったオブジェ作品を制作。
1997年 ・光学、電子などの技術者と画像関連の評論家とともに「画像文化研究会」を結成し、主宰する。
・日本オプトメカトロニクス協会」で「今開けようとするデジタルカメラ時代に向けて」講演。
・画像文化研究会」の企画、協力で美術館と桑沢デザイン研究所を結んで中継授業を本格開始する。
2004年 ・桑沢デザイン研究所を退職。。
・大判カメラのワークショップを始める
2005年7月18日、自宅で脳出血のため死去。享年61歳。個展の最中であった。


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