「 舞 鶴 」
周縁の街から

1983年 撮影

アサヒカメラ(1983年9月号)




ニコンサロン(1986年)

 僕がものごころつく以前、僕の知らない伯母は英語教師として日本海の町にいた。そこから近い、深い入り江の奥の町へしばしば遊び、結婚せず若くしてしんだときく。僕の知らない伯父も寒い地からの帰還船で、入り江の奥の町へ上陸した。強い酒と過酷な労働でこわした身で、はうようにして幾つものトンネルをぬけ村にたどり着き、ほどなく死んだという。以来僕はなぜか分からないが見ぬ地をこがれていた。外海からは見えない入り江を海図を前にナビゲートし、夜更け市街図を開いては親不孝通りをさまよい、寺をめぐる精進落としのお茶屋を歩き、はたまた川筋をたどり街を見下ろす山の頂から、何度も何度も俯瞰を楽しんだ。街のそこここに見かけるたたずまいや、戦艦の名を冠した通りやゆったりとしたアクセントの京言葉。今、この街で僕は半世紀を逆上った時間旅行者か。隣の止まり木からの声は確か今日サラ金から出てきた顔に見えてくる。小遣いの足りない女高生がアルバイトをさがしていると話していた。舞鶴は・・・・・・。(政昭記)