獏 鍋
キャノンサークル 1997年 11月号

  この間、僕はつり狂の友人の家で一時、話した。彼は毛バリやルアーという、見た目だけは良さそうな小道具ならべたてて、何本もの竿をみがき上げ、たまに「ニター」としたり、眉をハの字にしたりして、その奥義について、とつとつと語る。
 「ところで君の仕掛けは」と聞かれ、僕の仕掛けの道糸と言えば、眼球で、その円周を追って太さを確かめ、手に取って見る事さえ不可能なもので、竿なんぞという間接的なしろものは、いっさいなく、エサは、たまに壁を這う白アリの親戚か、ゴキブリ等ではエサにもならず、まあ多くは、たばこの煙や酒くさい息だ。
 そいつを、薄汚れ変形した僕の部屋の『壁』へ射るがごとく、はたまた、ねむるがごとくたたきつけて、もう6年になる。
 この僕の仕掛けは、何処へ行っても変わりなく、手入れもいらず、飽きもせず続いている。と説明する。
 さすがに、事つりに関しては、一家言を持つ友人、すぐに注意を下ろした。
 「君な、ネッシー等の遠い親戚をやる時には、ほれ、君がずうーと飼っている、あの石を浮きに使うと良いよ・・・・・・・・・・・・・」
 「いまどきの電気浮きでは、鯨やUFO、メダカですらバカにしているからなぁ……」
 「持つべきものは友だ」
 「何んせ、僕が檻に入れた時から、ひと時も停止することなく、身震いを続けているのだから……」
  「石は動かない」なぞという、手前勝手な呪縛から、解き放ってやれば、石こそ動転の確たる意志と楽しみを持つ物だ。
 もう飼いだして5年ほどになるあの石なら、『浮き』には最適と独り合点する。空になった罎ビールを、クチャクチャ潰しながら、感激にむせかえりそうになって、ふと、外を見ると雨だった。  夕立にしては、しみったれた雨の中、あたふた走り、満員バスに飛び乗って、ドアを開けるのももどかしく『壁』の前に立ち、一服つけて、友人への感謝の念、またひとしお。
 呼鈴の音で、忘れていた空腹が、稼ぎのなさを叩き起こし、親子3人、妻、心づくしの獏鍋(夢を食う獏という、伝説上の生き物をポンズで食す)なぞという、私共にふさわしい夕食を囲む。
 終われば、調子っ外れの童謡の斉唱で、またまた狭い部屋の中をぐるぐると我が子ともども駆けめぐり、風呂へ入れて、僕の室の壁に向かって、ほっと一杯ウイスキーを流し込む。残り物の獏鍋なんぞをあさりに台所を往復する。
 耳をくすぐるのは、ルート246をたまに通過する、暴走族とやらの音と、今夜はピンクレディではなく、もちろんカッコ良い波の音でもなく、レゲエでもない、北原ミレイの「春」だ。
 はや、今夜のお昼ごろも過ぎれば、『壁』に叩き付ける安酒の臭いも、平和という名の煙草の煙も僕の視線も、射るようでもあり、はたまたねむるようでもあるだろう。
 眼球と身は暗転を繰りかえし、「二日酔」なんぞではなく「一年酔」の顔をこすりつつ、朝のコーヒーをゾゾーと流し込み、かっこだけでも付けてとチェンバロ四重奏なぞ流し、「浮き」にちょうど良い良いと思った「かごの中の石」を見やる。
 向かいの爺さんの猫どなる声を聞き、カメラ入れから、「じゃあ標準にするか」等つぶやきつつレンズまさぐり、電車待つ間3分、乗る間3分、まだ固まっていないコンクリートの匂いするトンネルを運ばれる。
 向かいに座るおねえちゃん、顔にこすりつけるようにして「マーガレット」に見入り、僕の視線は、何となく下半身の方から移動し始め、何人分かの空席のそのまた向の「おねえちゃん」というにはしたたか過ぎ、「おばちゃん」というにはちょっと口ごもる肉感的な人、少年マガジン愛読者と見た。
 僕の隣に大股開いて座っている三つ揃いの男、この頃流行の大判の女性雑誌をゆったりと眺め、僕はというと眼球に飛び込むままの景色、桃色になったりする。
 ページめくるように渋谷から銀座への時間は、記憶と転移の方向で間引かれる。メトロ上がると、久しぶりと眼球ぎょろつくが、一瞬暗い割れ目を落ちながら見える空の様な気になったり、真っ赤な室に入れられた牛もこうあるかと思えるほどに身震いしたり、まあ首だけでものばしてと言い聞かせ、ヒョコヒョコ足を進める。
 買えもしないカメラ屋、のぞきのぞき、かの有名なキャノンサロンへと近づいている。